分からないから書くブログ

看護学生見聞録

日本人の場合、受容というか諦観では?



職場の忘年会ぶっちぎって講演会にいってまいりました。

※講演会が先で休みってか早退希望出してたからね。

 

地元で在宅やってる先生の話。

もとは公的病院の先生で、県内で最初にホスピス病棟導入した人だそうです。

学校にポスターがはってあって演者と日時だけしかみてなかったんで、

もうちょい在宅の具体的な話かなとおもっていたら

前半は哲学みたいな感じで。

ああと思ったことはいくつかありました。

 

まず諦観ということば。

キューブラー・ロスで、死を受容するまでのプロセスがありますが、

最近学校で理論家のあれこれあったので余計思うんですが、

海外の、キリスト教文化圏のことばをそのままもってきても

ピンとこないことって多いわけですよ。

ま、これに限らずですけどね。

でも、このへんて民俗学的なもんですよね。

民族じゃないですよ、民俗。

アジア、仏教文化圏からなにも出てこないのかなあ。

ちょっとググる気になれないんでスルーしますが、

受容ってか諦観ってことばのほうがしっくりする気がしました。

 小学生でもしってる「諸行無常のひびきあり」

無常なんですよねー。

 

 

ああ、なんとなく「正法眼蔵」をよまなきゃならないような気がしたのはなぜだろうw

トイレの本棚に入ってるんですがw

 

 

患者さんたちの話もありましたが、

また、ああと思ったのは、

エンゼルケアのこと。

職場もそうだけど、個室でなくなったら

そこに家族がいた場合、ま、少し落ち着いたところで家族を追い出して

看護師さんが可及的速やかにエンゼルケアして霊安室に降りて行きます。

講演会できいた在宅でのおわかれ、ブリーフケアは家族それぞれです。

ぶっちゃけ、病院で死ぬのはいやだなと思いましたね。

 

 

しかし、現実的な話で、

在宅をやろうとおもったら家族の介護力が必要になるそうです。

スライドに1行ありました。

家族の覚悟が必要なわけです。

独居は独居でいろいろ組んでもらうんだろうけど。

 

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