分からないから書くブログ

新米看護師忘備録

看護師が主役の映画「或る終焉」



以下ネタばれ注意!

 

ティム・ロスが看護師?という意外な組み合わせに興味をもって借りてみた。

 

ティムロスは終末期の患者さんをみる訪問看護師なんだけど、

患者さんとのかかわり方というのが

女性の患者が亡くなればバーであった見知らぬ人に「妻がなくなった」といったり、

建築家である患者になりきって(店員に声をかけられると、患者がその職業について言った言葉を返す)書店で本を選んだり(患者の読み物を探してたわけだけど)、患者の弟といって、建物を見学したり、なんかちょっと違うことをしている(ような気がする)

葬式にいくことに私は不自然さを感じないけど、

なんで自分を看護師っていえないのかなーという違和感はあった。

 

で、どうも末期がんの息子を安楽死させた過去がある。

そのために妻や娘と別れることになったようである。

 

途中から早送りしてみたので、

最後の化学療法の女性とのかかわりはスキップしてるんだけど

この人も安楽死を希望してたっぽい。

自分の娘にはがんはなんともないと電話で話しつつ、

死にたいっていうのをティムロスにいってる。

ティムロスは患者の身近にいて、

嘔吐した患者を介抱したり、

散髪するのみてたり、通院につきそっていったり

※はじめは通院の付き添いだけだったような

 

ここまで振り返って、

肝心なところをみてないんだなー自分。

ざーっと早送りした最後が、ランニングしてた看護師が自動車事故で死ぬという

唐突な終わり方で、

見返す気も失せたというか。

 

シリアスでもハートウォーミングでもなく、

ティムロス演じる看護師への違和感みたいなのが、

この映画にずーーーっとあったように思う。

ほかのサイト見ててあてはまるなとおもったのが、

”サスペンス”という言葉。

それ看護師に対する違和感だな。

個人的には予告編みたいな感じでよかったのに! 

 

いや、家族だって、看護師おかしいとかいうなら

清拭とか一緒にケアに入ればいいのに、

食事介助でもされたらいかがかと!

あーでも前の職場の介護士でみょーに利用者さんになれなれしく、

距離感がおかしいというか、

利用者宅に遊びに行ったとか(男性ばかり)、小遣いもらったとか、

問題視されてたことあったな。

私なんかだとよほど長い利用者さんじゃなければ

親近感もわかないし、

私の感覚というのも他人からすればおかしいと思われるかもしれないけど

ビジネスライクな関係で、そこまでのかかわりはないっす。 

自分のじいちゃんばあちゃんじゃないし。

あくまで仕事。公平じゃないような気がするというか。

※これはこれで冷たいといわれても仕方ないかもしれないけど!

 そこまで家族のことに首突っ込めないし。

 その点、ケアマネやソーシャルワーカーさんはすごいと思う。

  訪問看護師になると、どうなるんだろう自分。

 

この映画のメキシコ人の監督が経験した祖母×看護師への感覚が

映画になったっぽい。

もともとはメキシコ人の女性を想定した看護師だったらしい。

女性だったら、メキシコが舞台だったら

また違うような気がするんだけど。

男がやると変質者にみえても女性だと印象薄まることもあるからw

 

しかしこの結末見て、

「お見送りの作法」という映画を思い出した。

 

ネタばれあり!

 

これも最後救いようがない映画でした。

人のために奔走した結末があんなんじゃ。

この主人公もいきなり

車にひかれて終わりなんですよ。

もう、こんな見てる人を馬鹿にする映画はない!みたいな。

それもまた人生ってことなのかもしれないけど、

無責任だわーと思いました。

 

ま、映画ですから、

みんなでいろんな解釈話し合ったりなんかして…

 

って!社会人はそんなに暇ではない!

 

なんだかなー

 

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