目指すところは…
とはずがたりでなんで看護師かってとこをかいとこう。
きっかけはこれ。
訪問看護師。
目指すはこれです。
実習に行く前も、行った後もかわらないけど、
正直病棟で働きたいとは思えない。
いやそこで修行はせんといかんと思うが、
目指すところはそこではない。
自転車で街中走って仕事なんていいなあと。
…そっちか!
自分は最後は身寄りなしで死ぬだろうから、
ほかの人をみて予行練習&準備しとこうかなと。
あれだ、
このへん切実なものはある。
雑誌の山をどうするかなあ。
じゃなくてこの話を久々会った同級生たちに話すと
(既婚・子なし、既婚・子あり、独身、バツ1・子あり)
「もう老後のこと考えてるの?」
ときた。
結婚してないし、子どももいないと
考えるのは親の介護や自分の老後以外ない!
これは学校に入ってから知った話なんだけど
国の方針としては病院での入院日数減らして在宅へってのが最近の流れだそうで。
職場の外来にくる94歳の女性Yさん(家族とは同じ敷地に同居。自分でご飯作ってる)いわく、
「70代で入院したとき、まわりはぼけた人(ママ)ばかりで話もできんし
天井ばっかり見よったら、気が狂いそうになった」とのこと。
実際、実習のときに、受け持ち患者さんの静か過ぎる入院生活をみていると
これか!と思いました。
私はこれまで家族が入院したってのは1回しか経験ないんですが、
その時の記憶はあまりなく、実習でみてて
ここまで家族が面倒みないといけないんだなーと思いました。
はい、しらなかっただけなんですが、身寄りのない人が入院したら
だれがボディーソープとか肌着とかもってきてくれるんだろう。
旅セットはあるけど、入院セットも用意しといたほうがいいですよ。
あ、ほとんど同じだ。
で、このまえ幸運にも上野千鶴子さんの講演会にいけたのですが、
講演会のメモ(途中参加。たぶん本にかいてあるんだろう)
・在宅看取りは本人および家族の満足度が高い→看取りは家族の役割か?
終末期の過剰医療抑制。高齢者の貯蓄を自分自身の生活QOL向上のために使ってもらう。内需拡大。
・田舎でも他人に手を借りないと見送れなくなった。
・”介護職場”になると家族がつぶれる
(同居じゃなくて別居で。パートタイム家族で。24H家族をしなくていい)
・利用者も賢くならないとよい質のサービスが得られない。
・トータルライフマネジメント(医療の職種+民生委員とか宗教家とかもくわわって)
情報共有で相互に監視しあう。
・選択肢としての在宅死
抵抗勢力1家族2医療関係者
阻害要因1施設入居のハードルの低さ2経済力
・家にいつづける。意思決定はいらない。暮らしの慣性。介護医療サービスは外付けで。
比べて選ぶ。いやならとりかえられる。ぐずぐず、だましだましがキーワード。
(施設とサービスがパッケージだととりかえられない。ここは考えもの
…サービスが劣化することが多い。出て行くしかない!)
・死に時を決めるのは傲慢ではないか。死を目の前にして人の気は変わるもの。
日付つきの意思は信じるな。
さてあと2~3年、学生やるんですが、
それおわってからも看護師やりたいと思ってるだろうか!
私の興味はだいたい4,5年で移り変わっているし。
今の興味は老年と精神科。
精神はいろんなところでベースになる気はする。
病院は特殊だけど・・・
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ま、それはそれでいい。